ガブリエーレ・ダンヌンツィオの館
この館の元の持ち主はハイデルベルグ大学イタリアルネッサンス専門:ヘンリー・トード
彼の妻はフランツ・リストの娘:コジマ・リストのさらなる娘のダニエラ・フォン・ビューローで、ワーグナーの2番目の妻でもあったという。
『海潮音』上田 敏 の巻頭を飾る譯詩で有名なこの人は、若くして詩の才に恵まれ明治・大正・昭和期の日本の文学者にも多く愛読されたが後に政治の人へ。
フィウーメ占拠事件後の晩年はこのヴィットリアーレの館で隠棲したという。ムッソリーニに影響を与えたことでイタリア・ファシズムの先駆の人と見なされている。
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「ダンヌンツィオの生涯と作品はIl Vittoriale degli Italianiと名付けられた博物館に記念されている。この博物館自体、彼が構想し1923年からその死に至るまで発展させたものであり、ガルダ湖の南西、ガルドーネ・リヴィエーラにある彼のヴィラに隣接している。現在では同博物館は軍事博物館、図書館、文学・歴史のアーカイヴ、劇場そして霊廟の複合体になっており、また、ダンヌンツィオがウィーン飛行作戦に用いたSVA-5機および魚雷艇MAS96も保存している。」(Wikipediaより)
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フィアット:チンクチェントの設計デザイナー:ダンテ・ジアコーザの執務室はシックな赤い部屋でした。
鳥のビオソフィア 書斎を思わせる部屋も赤でした。日本人には馴染み薄いだろう赤い部屋というものがあちらではままあるのでしょう。
そんなことでふと思い出したのがダンヌンツィオの食卓です。
以前に雑誌で見かけ、けして趣味がいいとはお世辞にも言えない、どちらかと言えば悪趣味と言ったほうが当らずとも遠からず、忘れ難い赤い部屋です。ごてごてと異様な調度がひしめき、壁面の赤に金飾がなんとも落ち着かない空間、ここで食卓を囲み毎夜の如く酒宴が催されていたというのですから果たしてどんな食材が並んだものやら、、亀の剥製が卓上にここぞとばかり陣取るのも蓼食う虫な嗜好ですが、こういった空間をお気に召す方も広い世の中にはいらっしゃるのでしょう。
The"Prioria" The Room of the "Cheri"
ナルシス(水仙)を食べ過ぎて死んだ亀:甲羅と晩餐の部屋と名づけられているようです。
この他
オフィツィーナ 昼間の仕事部屋
ザンブラッカ 夜の仕事部屋
レダの部屋 享楽の寝室
アッポリーナのベランダ
追想の部屋
癩病の部屋
と、赤・蒼・緑・黒などと識別色をもって名づけられているようです。
当地でも館内撮影禁止
WEB上で、The"Prioria"より小さい画像ながら観られます。
館や魚雷艇を囲む糸杉が不気味で不可思議な雰囲気を醸し まるでA・ベックリンの絵のようです。
http://italiashio.exblog.jp/i22 かの地を訪れた方のブログ
画像を ケーリの部屋(赤 食卓部屋)からザンブラッカ (緑 夜の仕事部屋)に変えました。この部屋で仕事中に息をひきとったと言われている。
※追記 近々のパンフレットを見かけたので加えます。
二期会イタリア歌曲研究会XLII イタリア近代歌曲の夕べXXII
日時: 2010年4月19日(月) 19:00開演(18:30開場)
会場: イタリア文化会館アニェッリホール
(地下鉄九段下駅徒歩10分)料金: 全自由席 ¥4,000